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「原発事故にて避難をされた方のお話を聞く会」報告 放射能対策委員会主催 オンライン講演会5/20(木)

結城専務理事挨拶

 

3.11の震災と原発事故から10年目を迎えましたが、被災地の生産者との取引はいまだに再開できず、産直の絆は途切れたままです。
10年を終りにせず、今日のお話を今後に活かしていきたいと思います。

 

村田弘さんのお話

事故の責任と補償を巡って

 

ZOOMのカメラを前に熱心に語る村田さん

ZOOMのカメラを前に熱心に語る村田さん

 

コロナ禍で出向いて話ができにくい中、時間を取っていただきありがとうございます。

私は原発事故当時、原発から16キロ離れた南相馬市小高区に住んでいました。国の避難指示により妻と二人で横浜市に避難。原発事故の責任の所在と補償を巡り神奈川訴訟の原告団長として活動しています。

原発事故は大きく二つの罪をもたらしました。

第一の罪は大量の放射性物質を放出したこと。

第二の罪は国が責任を認め被害を回復すべきなのに、逆に被害を早急に終わらせようとしていることです。

全国で集団訴訟が行われていますが裁判の争点は二つあります。

①事故の責任が国にあるのか

②被害者の実態にあった損害賠償か

一審の判決で国の責任は一部で認められましたが、結論として出された賠償額は被害に見合う金額とはいいがたいものでした。私たちが控訴したのは被害の実相に見合う賠償を命じることで、ズタズタにされた人間としての尊厳を回復してほしい、ということに尽きます。

被害を受ける大変さを想像し、わかってもらいたい。一人一人の命を大切にする方向に向かってほしいというのが私たちの願いです。

 

 

松本徳子さんのお話

避難者への支援に奮闘中

 

「原発事故にて避難をされた方のお話を聞く会」松本さん

鈴木絹江さんの「私には夢がある」という詩を朗読してくださいました

生まれも育ちも福島県郡山市です。事故後、放射能の体への影響を心配して小6の娘と神奈川県川崎市へ避難しました。その後、自主避難者の住宅の無償提供の延長を求めて福島県と交渉を行いましたが、2017年3月末で延長は打ち切られてしまいました。

私は同じ境遇の避難者の支援のため、2016年に設立された「避難の共同センター」に関わり、居住困難や困窮状態に置かれている避難者のために電話相談や直接支援、行政との交渉などを行っています。

政府は被曝を過小評価しています。

子どもの甲状腺がんが多発していることは見過ごせません。再び事故が起きれば弱い人々が見捨てられていくことを今後も伝えていきたいと考えています。